キャリア・転職

夢を諦めた時の話

今日は僕の夢を諦めた瞬間をストーリー仕立てで書いて行きます。

人生の夏休み

 高校3年生の3学期、附属高校通っていた僕には人生の夏休みが訪れていた。3学期は登校日が無かった。時間は沢山あったが、お金が無かった僕はレンタルビデオ屋でバイトを始めた。レンタルビデオ屋を選んだ理由はバイトすればタダで映画が見られると思ったからだ。実際、人気作品でなければほぼ無限に映画を見る事が出来た。僕はバイトしながら毎日2,3本映画を観た。おそらく3ヶ月で150本近く映画を観たと思う。映画を観ている時の何かもを忘れて映像に入り込む感覚が好きだった。部屋を暗くして、日付の感覚がわからなくなるくらい映画を観た。
 そんな映画漬けの3学期の終わり、久々に登校日があった。職業診断テストがあったからだ。僕は深く考えることなく淡々とマークシートを埋めていった。数日後に結果が返ってきた。そこには「あなたの適職はバイヤーです」と書かれていた。結果をもらってバイヤーという職業を初めて調べてみた。そして「買い付け」を行う人全般をバイヤーと呼び、色々な業界にバイヤーがいる事も知った。何となく映画の仕事がしたいなぁと思っていた僕の夢はその日から「映画バイヤー」になった。

大学生

 映画バイヤーになる為、映画バイヤーになる方法をGoogleで調べまくった。そして、映画バイヤーになるには映画の学校=フィルムアカデミーに通う必要があると知った。洋画しか好きではなかった僕はとりあずアメリカのロサンゼルスにある「New York Film Academy Los Angeles」の短期プログラムに参加してみる事に決めた。映画の本場はハリウッドで、ハリウッドの映画学校で短期のプログラムの様なものがあるのがその学校だけだったからだ。どうせなら英語の勉強もしようと、ロサンゼルスの語学学校にいく事も決めた。
 決めてからは渡米する為にバイトに明け暮れお金を貯めた。大学の授業にも行かず、レンタルビデオ屋、スポーツジム、家庭教師のバイトを掛け持ち、死ぬ気で働いた。4月-8月で約50万ほど貯めた。ギリギリで短期留学の申し込みにいった。プランナーの方にフィルムアカデミーの事を説明し、3週間の語学学校+3日間の映画学校で計4週間のプランとなった。自分の夢への大きな一歩を踏み出せた気がして心が震えた。

初めてのアメリカ留学

 初めてのアメリカに夢を膨らませ、僕は徹夜で荷造りをして成田空港に向かった。国際線ターミナルで英語を聞いた瞬間から心が踊りっぱなしだった。飛行機に乗ると急に眠気に襲われ、すぐに寝た。映画を見る事も無く寝続け、気づくと着陸1時間前だった。急いで朝食を食べ、僕はずっとアメリカ大陸が見えるのを窓から見ていた。大陸が見えるよりも早く、飛行機は着陸態勢に入った。僕は景色を見るのに疲れ、また寝た。着陸の衝撃で起きてLAXに到着した事を知った。
 空港に迎えにきてくれたホストファミリーの車で家に行った。車の中から見えたGTAでみたまんまの景色を僕は今でも覚えている。時差ボケで夕方には眠くなり、夕飯を食べる前に寝落ちした。翌日は待ちに待ったフィルムアカデミー見学である。

フィルムアカデミー

 ホストファミリーが用意してくれたメモ書きを握りしめ、僕はバスを乗り継いでフィルムアカデミーに向かった。迷わずに到着し、1時間以上前に受付についた。うろうろしていると、同じくうろうろしているアジア人がいた。目が合ったので会釈をすると、向こうから話掛けてきた。彼の名前はKENさん。26歳でテレビ制作会社に勤めているそう。彼もフィルムアカデミーの見学に来たらしい。好きな映画の話で盛り上がっていたら、すぐに時間になり、見学が始まった。英語が全くわからない僕は、KENさんに説明してもらいながら必死に内容を理解したが、ほとんど何をいってるかわからなかった。見学が終わり、KENさんからアカデミーに通う友人と一緒にご飯を食べないかと誘われ、二つ返事でOKをした。

人生を変えたムラさん

 アカデミーの出口で待っていると、髭面のおっさんが出てきた。ムラさんという29歳の老け顔のアカデミー生で、KENさんとの関係は不明だが初対面ではなさそうだった。Barの様なところに入ると、二人はビールを頼んだ。僕は未成年なのでコーラを頼んだ。コーラを持って席につくとムラさんは開墾一番こう言った。「映画の道は厳しいよ」。
 僕はあっけにとらる僕を横目にムラさんは続けた。「映画関係の仕事は薄給で激務なものばかりでみんなすぐにやめていく。映画が好きで好きでたまらない奴の中で、ずば抜けて情熱があって、メンタルが強い奴しか映画関係の仕事には向かない。」僕はムラさんの話を熱心に聞いた。そして、ムラさんは僕に聞いた「君はなんで映画バイヤーになりたいの?」。僕はハッとした。
 僕の「夢は映画バイヤーになる事」、親にも友人にも何度も言った。しかし、なりたい理由はただ映画が好きで、しょうもない適職診断の結果がバイヤーだったからだけだ。僕は夢を持つことに満足して、なぜそれが夢なのかを深く考えたことがなかった。僕はムラさんに恥ずかしがりながらそれを伝えた。ムラさんは僕の様に映画が好きで映画の道に進み、耐えられず、潰れた若者がたくさんいる事を教えてくれた。その時にムラさんに言われた「趣味と仕事は違う。映画を見ることと映画を作ることは違う。寿司を食べることと寿司を握ることも違う。」という言葉は一生忘れない。

18歳の夏、僕は「映画バイヤーになる」という夢を諦めた。

ABOUT ME
歩兵
MARCH卒。米国留学、米国インターンを経て総合商社に入社。現在米国駐在中。40人程の米人に囲まれながら日本人一人で奮闘しています。仕事の事やキャリアの事から子育ての事まで幅広く記事を書いていこうと思います。
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